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「日本の笑顔を作りたい!」 ふじすえ健三は、東京大学助教授を辞して、国会から日本の笑顔を作ります。
民主党参議院議員 ふじすえ健三 公式ウェブサイト

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[2004年09月16日] [プロフィール] [コメント (6)] [トラックバック (0)]

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  1. のびのびと育った少年時代
  2. ボート一筋の青年時代
  3. 限界まで働いた役人時代
  4. 川崎ファミリーの誕生
  5. 留学時代
  6. ボクシングに目覚めた留学時代
  7. 東大の教壇に立つ
  8. 健三の目下の悩み
のびのびと育った少年時代
東京オリンピック開催を間近に控えた1964年(昭和39年)、健三は、父・好一、母・春代の次男として、熊本県熊本市に産声をあげた。当時の熊本は、道路も十分に舗装されておらず、どこもかしこも健三の遊び場となり、近所の友達と日が暮れるまで駆け回っていた。ある時には、幼稚園を抜け出したり、ブランコの柵越えに失敗して足を骨折したりするほどのやんちゃ坊主であった。農家出身の母は、そんな健三を温かく見守り、のびのびと育てた。
1970年4月(昭和45年)、春竹小学校に入学する。小学校に入るまで体ばかり動かして育った健三は、勉強というものに縁遠く、自分の名前すら書けなかった。もちろん成績は最悪で、通知表には1と2ばかりが並んだ。それ以後、郵便局員の父は転勤が多く、健三は、小学生の間に5回も転校することになった。
転校生は、得てしていじめの対象になりやすいが、健三も例外ではなかった。小学校3年生の時、父の赴任先であった福岡で、同級生ではなく、こともあろうか、担任の先生からいじめにあってしまった。この先生は、健三が授業中にしゃべっていると、目ざとく見つけ、唇にクリップをつけクラス中の笑いものにしたり、解けそうもない問題をわざと健三に当てたりした。
子供は、教室内の力関係に敏感である。先生からの露骨な嫌がらせにあっていた健三の味方となる者はおらず、当然、健三は仲間はずれとなった。健三は、幼いながらに、仲間はずれにされる者の痛みを理解した。
小学校5年生の時に、転校して、大場先生と出会った。大場先生は、転校生で友達がいない健三に、早く友達が出来るように気遣ってくれた。クラスに温かく迎えられた健三は、学校が楽しくなり初めて4をとった。担任の大場先生と副担任の西先生のお陰で、勉強を好きになることができたのである。
大場先生は、健三に学校の楽しさを教えてくれた。健三は、この時の体験で教育の大事さを深く認識した。もし、健三が大場先生と出会っていなかったら、その後の人生で東京大学の教壇に立つこともなかったかもしれない。



▲子ども時代の健三
ボート一筋の青年時代
1976年(昭和51年)、熊本市内の出水中学校に入学する。運動好きだった健三は、ハンドボール部に入った。しかし、健三は、並以上の体力は持つものの器用ではなかった。緻密さを要求するハンドボールには向いておらず、あまり活躍できなかった。スポーツを通して、個性的なチームメイトと等身大で付き合う中で、健三は人と正面から向き合うことの大事さを学んだ。
1979年(昭和54年)、熊本高校に入学する。高校では、自分の体力が活かせそうなボート部に入部した。根性には自信があった健三だったが、夏は炎天下、冬は寒風が吹きすさぶ中での練習は、想像以上に厳しかった。ボート部では、精神的にも肉体的にも鍛えられた。
高校3年の夏までは、ボートに打ち込み、勉強はあまりしなかったが、成績は、中の上だった。ただ、粘り強い健三は、これまでの遅れを取り戻すために、ボートで培った集中力で受験勉強にラストスパートをかけた。成績は急上昇し、教師からは絶対に不可能といわれた東京工業大学に合格を果たす。
1982年(昭和57年)、東京工業大学に入学する。世間は80年代バブルに浮かれ、大学でもインカレのテニスサークルが流行であったが、健三は脇目も振らず、入学と同時にボート部に入部した。男臭い合宿所に寝泊りし、毎日早朝4時半から練習をした。高校時代からの日々の積み重ねと、合宿所での猛特訓の成果が花開き、全日本新人戦では2位、全日本軽量級では3位と、好成績を収めた。4年の時には、惜しくもレギュラーには選ばれなかったが、チームは全日本2位となり、3年半の間合宿所でほとんど練習だけの毎日を過ごした仲間と共に喜びを分かち合った。

▲高校時代の健三


▲ボート部の仲間と
限界まで働いた役人時代
1986年(昭和61年)、体力を買われ、通商産業省(現:経済産業省)へ入省する。同期入省のほとんどが東大卒であった。OBとの懇親会の席で、当然のように「どこの学科卒?」と聞かれ、体力を拠り所にしてきた健三にとって、東大卒であることが当然視されている省庁の風潮に愕然とした。
当時の通商産業省では、現場の権限が強く、新卒の健三にもすぐに出番が回ってきた。日米スーパーコンピュータ交渉では事務局を担当し、産業界と結託したアメリカ政府を相手に、気持ちでは一歩も譲らなかった。体力に自信があり責任感が強い健三は、毎日、真夜中過ぎまで働いた。一番忙しい時には、半年間で2日しか休暇をとらなかった。妻はそんな健三を心配して、労災を申請するための準備として、帰宅時間の記録までしていたほどであった。
また、環境基本法案の検討や産業競争力会議の事務局を担当し、斬新な企画を数多く立案した。健三の企画は、すぐに実現することが難しいものが多く、自分の力のなさを痛感することもあった。しかし、一本気な性格の健三は、自分を信じ、めげずに企画立案を続けた。当時、健三の出した企画は、現在、いくつかは実現している。


▲ロシアとの科学技術協力会議にて


▲英貿易省担当者と(日英特許制度検討会議にて)
川崎ファミリーの誕生
1991年(平成3年)、27歳で妻と結婚。健三は、九州出身の妻と初めて出会った時から、なんとなく結婚するのではないかと思っていた。翌年、長女が誕生。このとき、「人間は、子を作りこうして命をつないでいくものなんだなぁー。」と痛感した。そして、父としての自覚が芽生える。さらに翌年にも藤末家に幸福が続き、次女が誕生した。1996年、アメリカから帰国後、川崎市宮前区に居を構える。まもなくして長男が誕生し、2女1男の5人家族となった。
留学時代では、米国人の友達が奥さんと家事を分担する姿や、学業よりも家族を優先する姿を見てきた。健三は、自分もこのように家族を大事にしていきたいと思っている。
特に、健三にとって妻はかけがえのないパートナーだ。留学のための試験勉強の時には、貯金がほとんどないにもかかわらず、勉強のために貯金の大部分(合計約200万円)の使用を許してくれた。また、3人の子供を生んで健康に育ててくれているばかりか、選挙の結果次第では明日の生活も分からない政治家になろうとする健三の心意気を理解し、背中を押してくれた。健三は、これまで苦労をかけてきた妻に、これ以上の迷惑をかけてはならないと思っている。


▲ふじすえファミリー
留学時代
自分の未熟さを思い知った健三は、さらに自分自身の政策立案能力を高める必要性を感じた。上司にその純粋な思いを直訴し、留学を勝ち取り、1994年(平成4年)には、マサチューセッツ工科大学経営大学院(MITビジネススクール)に入学した。続いて翌年には、ハーバード大学行政大学院に入学した。
この時健三は、留学先の入学試験に合格するために、1年以上、忙しさをぬって、通勤電車でも勉強し、平日夜と土曜日に英語学校に通った。
米国では、生まれて初めて学問が面白いものだと知り、空いた時間には論文を書き、土日も勉強した。



▲アメリカにて
ボクシングに目覚めた留学時代
通産省時代のハードワーク経験から、常に体を鍛えておく必要性を感じ、留学先では学問だけでなく、ボクシングに取り組んだ。MITのボクシング部とハーバードのボクシング部に所属し、最年長ながらも、毎日ハードな練習メニューをこなした。ボートで鍛えた体は、すぐにボクシングに馴染み、部内でトップクラスになった。健三は、それに甘んじることなく、さらに磨きをかけるため地元のボストン・スポーツボクシングジムに加入した。そして、ほぼ毎日ジム通いを続け、プロボクシングライセンスを取得した。
帰国直前、健三は、最後のお別れを告げるためジムに顔を出した。お別れを告げる時、誰よりも数多く打ち込んだサンドバックが目にとまり、走馬灯のように、これまでの練習の日を思い返した。傷一つなかったはずのヘッドギアとグローブは、汗がにじみ、擦り切れ、ボロボロになっていた。それを目にした瞬間、涙が出てきて止まらなかった。コーチとジムの同僚は驚いて笑っていたが、その眼はかすかに濡れて光っていた。
健三は、今でもこの思い出のグローブをつけて、鷺沼のファイティング原田ジムでボクシングを続け、来るべき戦いの日に備えている。



▲ボクシングの練習風景


▲2003年に全日本ママチャリ12時間耐久レースに出場した際の写真
東大の教壇に立つ
帰国後、アメリカで書き始めた論文をまとめ始める、通商産業省における仕事で帰宅が遅いため、毎朝5時前に起きて論文を書く生活を続けていた。1999年(平成9年)、博士論文「日本企業の研究開発の国際戦略」が完成し、東京工業大学で学術博士号を取得する。同年、東京大学工学部に新学科ができることに伴う教官募集に応募し、講師として転任する。そして、翌年には助教授に就任した。
東京大学では、経営論と政策論を教えていた。学生参加型の米国ディスカッション方式で授業を行い、学生による授業評価では、ほとんどの学期で、コース別1位か2位を獲得した。
研究テーマは、ベンチャー企業経営や製造業の経営戦略だった。研究過程で、多くのベンチャー企業や製造業企業の経営者と話し合い、企業経営や製造業の問題点について今でも熱く議論を交わしている。企業の方々との議論を通して、健三は「国際競争にさらされながら頑張っている企業は、毎日を必死に生きている。しかし、政府に保護されている業種が、必死に頑張っている企業の足を引っ張っている」と実感している。
また、米国とドイツの大学(MIT、ベルリン工科大学等)との国際共同研究として、川崎市の産業再生策に関する研究も行った。



▲講義風景


▲他の先生方とのオフショット

健三の目下の悩み
健三の目下の悩みは「教育」である。公教育への不信から、ほとんどの子供が塾に行っている。そのような状況下で、教育費用が、家計に大きな負担となっている。小学生3人の父親である健三とて、その例外ではない。しかし、公教育の充実なしには、安心して子供を育てられる環境は生まれない。そのため、健三は、公教育を充実するために次のことを考えている。

  1. 「教師1人当たりの児童数を減らす」
  2. 「教員資格を見直し、社会人の中途採用や高齢者採用を可能とする」
  3. 「学校や教師を、ある程度は生徒が選択可能とする」

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コメント

藤末さん
36年に機械(学部)を卒業し、現在蔵前技術士会事務局の事務局長を務めております。蔵前ジャーナル11月号の記事を拝読し、このサイトに辿りつきました。
役人時代の奮闘振りに感心すると共に、技術立国と公教育充実と大目標に諸手を上げて賛成です。
どう考えても日本国が観光立国や金融立国で、世界一流の生活水準を維持できるはずがありません。資源の無いわが国がここまで来れたのは、明治維新以来教育に力を入れ、殖産興業を盛んにしたからに他なりません。
それを「ゆとり」の旗の下に、π=3などどいう総馬鹿教育で公教育を破壊したつけは、間もなく回ってくることでしょう。理系離れなどという風潮も嘆かわしいことです。子供達は理系が損をする社会の雰囲気を感じとり、将来の進路を別のところに求めるのです。私が東工大を受験した昭和30年代初頭は、「理系に行けばくいっぱぐれがない」という強いインセンティブがありました。戦中世代は「兵役延期」というもっと強いインセンティブがあった筈です。別段子供達に「モノ作りの楽しさ」など教えなくても、理系有利の社会になれば自然にそちらに流れます。
さて、蔵前技術士会ですが下記のウェブサイトに情報がありますので、お時間のあるときに覗いて下さい。
http://vs.kuramae.ne.jp/krpe/
現在会員数は約120名。最近若い卒業生が入会するようになり、先日は学生からの問合せもあって驚きました。若い世代は専門資格を重視するようです。理系軽視の社会も少しずつ変わってきたことを感じます。
私どもが何かお役に立てそうなことがあれば、お気軽にお声掛けください。

投稿者 佐鳥聡夫 : 2004年11月23日 17:56

佐鳥聡夫様
大学の先輩からのご意見をありがとうございます。
私も、ご指摘のとおり、「わが国は、エネルギーのほぼ100%(統計ではなぜか原子力が国産エネルギーになっているのでご注意を)、食料の60%(カロリーベース。飼料も入れた重量ベースだと70%)が輸入です。」
今、自動車、電機、鉄鋼などの製造業でで外貨の8割近くを稼いでいます。
つまりこれらの産業が稼げなくなると、国際競争力がなくなると、わが国は、エネルギーも食料も買えなくなることをほとんどの方々が認識できていないことに危機感を感じます。
是非、21世紀の日本を食べさせていけるだけの産業と人材をつくる必要があります。
是非ご指導ください。私も全力を尽くしてがんばります。

投稿者 藤末健三 : 2004年11月26日 23:55

>韓国では、拉致問題はほとんど問題にされず、北朝鮮への同情の方が大きいような感じを受けました。
私もこの韓国の方針に賛成です。

貴方のメールに驚愕した。凡そ拉致は、よしんばそれが他国の人であっても、被拉致者の苦痛とその家族の苦悩を考えれば絶対に容認できないものである。
貴方は北朝鮮の拉致を行為と容認するならば、人間失格としか言いようがない。

それと、北朝鮮・韓国に関わりなく朝鮮人は、日本人に対する強烈な嫉妬と憎悪に燃えており、彼等の本心は日本自体を抹殺したいと願っている。
貴方も政治家である以上、このような執念深い民族を隣国に存在することは日本の安全保障上非常な危険性があることを認識して欲しい。

投稿者 : 2005年03月22日 00:02

国連開発計画(UNDP)東京事務所の次長をしております。
先般、UNDP総裁任命人事が行われ、元トルコ財務大臣のデルビシュ氏が8月15日より新総裁として就任することとなりました。日本からも外務省の現役局長が立候補され、3人のファイナリストまで残りましたが、残念ながら、最後の一人として勝ち残ることはできませんでした。
国際機関の幹部ポストには、閣僚経験者や国会議員経歴のある方々が目白押しで、たとえ日本といえども、役人としての経験や肩書きだけではなかなか通用しない世界というのはご存じの通りです。
藤末議員は、PHDの他、役所の実務経験も兼ね備えておられ、是非、国際機関で勤務経験を積まれるというオプションについても積極的に御念頭に置いて頂ければと考えます。将来的には、国際機関の長として活躍され、その後、国会議員に復帰されて閣僚経験を積まれるといった、国際と国内のハイレベル・ポストを横断的に行き来できる人事交流が実現できればと考えております。
安保理改組、日本の安保理常任理事国入りについては、世界各国のエゴがまかり通り、そう簡単ではない状況ですが、こうしたハイレベルの人事交流ができれば、日本は自ずと「国際社会において、名誉ある地位を占め」られることになると確信しております。
藤末議員には、その切り込み隊長役を十分にこなしていけるであろうと考え、御連絡させて頂きました。
なお、小職も宮前区在住で、ウチの娘がお嬢様と小学校でお世話になっているとのこと。引き続き宜しくお願いできれば幸いです。

投稿者 近藤 猛 : 2005年05月20日 18:33

政治には全く無関心、選挙に一度も行ったことがない30台の男です。他のプログからのリンクで偶然このページに来ました。
履歴を読み、熱く燃える男の意気込みを強く感じました。熱いだけでは政治の世界は生きていけない。しかし、根性と努力で生きて来られたような履歴を見ると何かをやってくれるのかもしれないと期待をしました。応援します。頑張ってください。

投稿者 ロサンゼルス太郎 : 2005年09月17日 15:00

 藤末健三先生

 改正された教育改革関連三法のうち、学校教育法は義務教育の目標として「公共の精神」「我が国と郷土を愛する態度を養う」と明記されている。 
 さて、官僚の不祥事が叫ばれる中、国民の安全確保という職務にありながら、関係法を無視して、天下り関係企業に便宜を図り、国民を危険にさらす破廉恥な経済産業省官僚を省は擁護!「官僚は法律を無視しても許される!」という矛盾社会を証明する。
 いくら学校で理想的な人間に育てても、実社会が、受け入れる社会の側が腐りきった社会環境にあれば・・・腐りきった環境に染まらなければ活躍の場は得られず(変わった奴だと)排除される!そんな社会環境下の整備なくして、上記学校教育法が効果を上げられるか?疑問に思うのは自然なこと。 
 続・しがらみ  天下りの弊害!先生の古巣での問題をご案内しています。ご多用中と存じますがご一読下さいますようお願い致します。 
       
   天下りの弊害!

一 平成16年7月31日21時ごろ、岡山市古新田地内市道上で東進中の乗用車が垂れ下がった引込み電線に接触するという事故が発生した。 発生原因は、市道沿いに設置してあった木製電柱が倒れたことによるもの。

1 
同年8月17日、同事故について中国電力株式会社岡山営業所(以下「中電」という)に問い合わせると、同月24日、本件担当者と名乗る中電社員2名の訪問を受ける。そこで、事故車両の所有者A氏の言い分「自分には過失が無い」等を伝えると、しばらく時間をくれと言う。

2 同電柱の調査業務(技術基準に適合しているか否か)は中電から中国電気保安協会岡山支部(以下「保安協会」と言う)が委託を受けていることから、本来の当事者である保安協会に問い合わせたところ、責任者のBですと名乗り「事故があったことは聞いていない。何処じゃろうかと尋ねる。電柱の使用者名及び住所・設置場所を教えると、帳簿によると、調査は平成13年度・調査日:平成14年3月13日に実施しており、結果は“良”と記載されている。調査方法は目視でやっているが皆に事故のことを話し、今後このようなことが無いよう十分注意して調査に当ります。」と答えられるが、本件事故の責任についてお尋ねると、「少し時間を下さい。私の一存では答えられない」という。

3 翌9月9日、回答書を持参した上記中電社員から「本件は中電が(保安協会から)引き継ぎます。」というも、保安協会から委任を受けていることを確認すべく証拠の提示を求めるも示されないため、「一担当者の口頭のみ」を受け入れることは出来ないため、両氏が帰った後直ちに保安協会B氏に連絡、一部始終を話すと「承知していない。」と答えたため、同月13日(財)中国電気保安協会理事長今村匡秀氏宛に「事故の内容及び経過説明並びに法令を遵守する運営をするよう、被害者には謝罪するよう、安全を重視した運営をするよう求めた」手紙に写真等資料を同封し送付する。

二 平成16年9月9日付け「中電の回答書」には、「折れた電柱の所有者で無いから維持管理責任が無い。(中電は、電柱や電線の状態を日常的にパトロールして)自社所有設備以外の場合でも、設備の占有者もしくは所有者に対して改善処置を講ずるようお願いしております。さらにこのときに緊急性が認められれば直接何らかの措置を講ずることもあります。私有設備の瑕疵については、これが管理の限界であると考えます。」とある。

三 中電の記録「お客様連絡票」によると、事故車両の所有者A氏は事故について中電に連絡している。これに対し中電は、後ほど連絡すると答えている。 尚、入手経路は明かせないが同連絡表は日時・筆跡は同じで内容の一部が異なる2通(一通は鉛筆書き、もう一通はコピー)が存在する。

1 内容が異なる部分は、同年8月3日中電が事故の責任を問うA氏に回答連絡した際「電柱の所有者の住所氏名を尋ねられたが、個人情報に当たるとして拒否している」にも拘らず、鉛筆書き連絡表には「個人情報は、お伝えするもなっとくせず」と記載されている。 そして、コピーには上記記載はない。 そうすると、加筆は外部提出用(中電は誠心誠意対応している!との演出目的)として作成されたと思われる。

2 また、A氏は事故処理をした岡山西警察署(A氏の通報を受け、中電の処理が終了するまで交通止めにする)に電柱の所有者を問い合わせるも「個人情報に当る」と拒否され、やむなく所有者を尋ねて「事故付近の民家を回った」という。

四 本件事故は人災と言わざるをえない。事故当日台風10号が岡山市を通過しているが、最大瞬間風速は19:02分時点で28.4m/秒、事故が発生した21時頃は13.4m/秒(岡山地方気象台より)、既に風は弱まっていた。

1 A氏の前方を走行していた車両は「不自然な様子も無く同現場を通過して行った」と言い、他に被害者は見られないこと、A氏が第一通報者であること等から、電柱が倒れたのは前車両通過直後と考えられる。

2 また、当日他の電柱等施設に被害はなく(中電より)、折れた部分は大部分が腐食していたから、上記を鑑みるまでも無い。

五 さて、中国経済産業局電力安全課小西担当官(現在・経済産業局地域経済課に移動)は、倒れた電柱は電気事業法第38条で規定された「一般用電気工作物」に該当すると言う。 

1 そうすると、中電は電気を供給する者であるから、電柱を占有管理または所有の有無に関わらず、その供給する電気を使用する一般用電気工作物が前条第一項の経済産業省令で定める技術基準に適合しているか否かを調査しなければならない(同法第57条)。 

2 保安協会は中電から電柱の調査業務の委託(第57条の2)を受けており、関係法令並びに同法施行規則第96条1項「4年に1回以上」調査しなければならない義務を負う。

3 調査方法は、同条第5項「調査は、測定器又は目視による方法その他の適切な方法により行うこと。」とあり、適切な方法により調査が実施されていたのであれば自然に倒れる電柱は存在しないことになる。

4 また、電気設備の技術基準について、支持物の倒壊の防止(省令第32条)「風速40m/秒の風圧荷重の影響を考慮し、倒壊のおそれがないよう、安全なもので無ければならない。」とある。

5 したがって、中電・保安協会の主張を裏付けるには電気事業法第57条一項ただし書き「その一般用電気工作物の設置の場所に立ち入ることにつき、その所有者または占有者の承諾を得ることが出来ないときは、この限りではない。」に該当しなければならないが、本件電柱の設置場所は市道に隣接している上、何の障害物も無く、誰でも立ち入ることが出来る官地・用水路沿いにある。
 そして、占有者C氏は「中電や保安協会とは一度も接触したことが無い。書面による連絡を戴いたことも無い」と、上記二の2(回答書の内容)「設備の占有者もしくは所有者に対して改善処置を講ずるようお願いしております。」を全面否定している。

6 そうすると、「帳簿上は調査を実施していることになっている」(保安協会B氏による)が、実際は目視調査どころか現地に行っていないのではないか、という疑念が生まれる。
 本件電柱は設置より20数年経過。電気の危険認識を誰よりも熟知する調査員が、調査対象工作物の前まで行きながら、長期にわたり適切な調査を怠る事が出来るものか?

六 以上から、中電の「所有していない電柱については責任が無い」という主張。これに「盲従する保安協会」「容認する中国四国産業保安監督部」は電気を供給する者及び監督する者に求められている「安全確保認識に重大な問題がある」と言わざるをえない。

1 そもそも、電気料金には「安全を確保すべく調査費用が含まれている。関係法令等がある。監督する国家公務員の技術者が配置されている」ことを考慮すると、費用を受領しながら「腐れて自然に倒れる」という想定外の調査実態が本件事故によって露見しているにも関わらず、適切な調査を実施していると虚偽主張・報告・容認するなどは、電気供給事業に関わる者としての適格性・監督官庁職員の使命感・規範意識を著しく欠く。

2 二度と事故を招かないためには、安全確保関連法令等を蔑ろにして国民の健康・生命の安全を危険に晒した原因究明が不可欠で、究明には外部による調査を必要としている。

3 また、国は「関係法令を遵守するよう」指導の徹底に止まらず。本件を「いかなる処置を持って対処した。よって、二度とこのような事故は起こらない。安心して暮らせる国である」と、具体的説明を以って公表し国民の理解を得るべく努力と責任がある。

七 当初、小西担当官は関係法令等を紹介し丁寧に説明する等積極的に対応していたが、途中から豹変し、杜撰な調査がいかに危険であるか等に対して「調査は適正に行われていた。いくら話しても何にも変わらんよ!」と言い、ヘラヘラ笑うのみであった。
 そこで、経済産業省電力安全課運営班に対して書面及び電話にて事情説明したところ、「全て事業者に任せている」との回答であり、触れない・元上司に「よろしく頼む」といわれて拒める人がいるだろうか?を臭わす。

八 以上のとおり、国民の安全が脅かされていようと、しがらみを最優先とするのである。

1 本件事故は物損のみであり、被害金額も小額であった事から「(割に合わない)裁判での調査責任追求」を断念せざるを得ず・・・法による真理の探求の道は閉ざされる。  

2 しかし、軽微な事故で中電・保安協会が安全軽視、人命軽視、法律軽視といった杜撰な調査を繰り返していた実態が発覚したこと事は不幸中の幸いといえ、事故に巻き込まれたのが自転車やオートバイであったとしたら・・・。

3 過去の電力業界の不祥事は隠蔽・改ざん・偽装等。 本件は取り締まるべき経済産業省が事実を把握した上で、事故から得られた貴重な事実の隠蔽に加担したことは残念である。 

4 電力各社は同一条件下にある。業界全体に天下りとのしがらみを最優先する風潮の存在を払拭できず!天下り問題は中途半端な対応では何の効果も期待出来ないと実感する。

5 本年5月1日、本件の被害者を抱える岡山県石井正弘知事に、県民の安全確保を、中電・保安協会・経済産業省に対し法令順守等を求めるよう要望する。直後(5/16)小西担当官はイレギュラー移動となるが、彼の職務姿勢は血税で雇用するに値せず。 

 尚、本年春より“偽装請負業者は切り捨てられる”と題し、破産処理をする裁判所・破産管財人弁護士のしがらみ問題を、地方自治体の首長・公務員及び地方議員に公表してきました。公表先に選んだ理由は、職員が準法律行為に携わる、議員はそれをチックする関係にあり、国民に身近な存在だからです。日本社会がしがらみによって捻じ曲げられている現実を黙って見ているわけには参りません。

 藤末先生に置かれましては改めてお願いするまでもないと存じ上げますが、更に国民の安全確保を優先して頂きたくお願い申し上げます。

追伸 

 本年春より“偽装請負業者は切り捨てられる”と題し、破産処理をする裁判所・破産管財人弁護士のしがらみ問題を、地方自治体の首長・公務員及び地方議員に公表してきました。
 公表先に選んだ理由は、首長は元より職員の職務は準法律行為に携わることも少なくなく、議員はそれをチックする関係に、また政治決着ということもあり、国民に身近な存在だからです。 
 一旦、行政とのトラブルに巻き込まれますと体制に刃向かう立場におかれその困難さから泣き寝入り、もしくは民事裁判となりますが、10年を越える長期裁判も決して珍しくありません。
 さらに、行政裁判での勝訴率は20%程度!これも大きな裁量権に阻まれた結果から見ると、行政裁判は現体制の維持に重きを置いています。そのような状況を見ると、官業癒着の目的?社会悪と決め付けざるを得ず!そこで、トラブルになる前に芽を摘み取る環境作りが必要と悪例をご案内しています。
 国民がトラブルに巻き込まれることなく生きて行く事が出来る社会環境作りにご尽力頂けますようお願い申し上げます。当会は、時代に必要とされる人物・救世主が現れることを・目覚められることを信じて運動しています。ただ、誰が救世主か分からないために出来るだけ沢山の議員の方にご案内をしています。何時のことになるか分かりませんが、全てを投げ打って土台にならんと・・・、こうしてご案内していますのも(先生がおっしゃられておられます)決断とご理解頂ければ幸いです。


投稿者 日本人権擁護協会 理事長 大賀吉員 : 2007年07月15日 07:53

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