ふじすえの志
[2004年09月16日] [プロフィール] [コメント (8)] [トラックバック (0)]
ふじすえ健三が、なぜ政治の道を志すに至ったかを説明したいと思います。世の中に広く役立つ仕事をしようと役人へ
父からは、世の中に役立つ仕事をしろと小さい頃から言われていました。そのため、就職の時には迷わず国家公務員試験を受け、幅広い経済と産業の仕事ができる通商産業省(現在、経済産業省)に入省しました。
就職祝いを家族でした時、父が「健三は、世の中に直接役立つことができるからいいぞ」と言ってくれました。当時はバブル経済の絶頂期で、新入社員の給与で比較しても、商社に勤める2歳上の兄は私の倍近く給料をもらうような状況で、私も引け目を感じていましたが、この父の言葉は非常に励みになりました。
入省後は、貿易の促進、次世代コンピュータ国家開発プロジェクトの立ち上げ、米国とのスーパーコンピュータ調達に関する交渉、環境基本法の立案、日本企業の技術革新促進政策の立案などを担当しました。
米国留学から帰国した後は、産業競争力会議(議長:小渕総理)において、技術革新政策立案のプロジェクトリーダを務めましたが、①省庁間の壁により通産省所管外の政策を省外に提示できないこと、②上司の壁があること、のために私が立案した新政策は上部に完全には理解されませんでした。
この産業競争力会議も閉じられて、プロジェクトチームも解散となりましたが、その打ち上げの時、涙が突然あふれてきました。自分が全力で作った政策が、上司に赤ペンで消されていくことが悔しくてたまらなかったからです。陶芸家にとって、壺はただの作品でなく命だと思います。私の場合も同じで、私たちが考え出した政策は、私たちの命です。それなのに、あまりにも革新的すぎるから、他の省庁との調整がつかないからといった理由で消された無念から涙があふれ出てきたのです。
その時一緒にいた同僚は、それ(私の姿)を見て、私はいつか役所を辞めるなと思ったと言います。
東京大学に移る
このような中、自分の意見を自分の責任で発言できるようになりたいと考え、学科の新設に伴い新任教官を募集していた東京大学に移ることにしました。大学では、比較的自由な時間があるので、共著も含めて11冊の本を執筆するとともに、論文など約40本も執筆し、自分が研究した政策などを公表してきました。また、大学と産業界の連携や生まれたばかりの会社の支援を行う非営利組織を設置するなど、世の中に実際役立つ活動もやっていました。
同時に、政党や政府の研究会に参加し、政策を提案していましたが、ここで感じたことは、自分は「試合を外から見ている解説者」に過ぎないこということでした。つまり、色々な政策の提言などを本や論文などで公表していましたが、自分は、プレーヤーである政治家を一生懸命応援しているだけだと痛感しました。
決断
今回、解説者からフィールドプレーヤーになろうと決めました。家族も友人も、「このまま大学で名を成して、大学から世の中を変える努力をすればいいではないか」と言います。本当によく考えればそうかもしれませんし、すごく悩んで眠れない日が続きました。私の教え子の祖父で、既に故人ですが地方で有名な経営者がいますが、その方が自伝書で「考えて迷う時は、肝に手を当てて肉月に土の腹に聴け」と書いていました。そうしたら、自分のおなかの底から「自分は政治家というフィールドプレーヤーになって、直接世の中を良くしたい」との思いが湧き出てきて、妻や両親にもこの考えを納得してもらい、今回の転進を決意いたしました。
元来、自分は誰かに生かされているとの気持ちが強く、自分に与えられた役割を果たすことにより自分自身が幸せになると考えています。私は、政治の道で世の中に貢献することが、私に与えられた役割だと思っております。今の私には、迷いはありません。妻も両親も、家族に迷惑をかけないようにがんばれと応援してくれています。
今回、政治の道への転向を決めたことは、決意でなく「決断」です。つまり、「後を断つことを決めています」。
2004年2月3日
藤末 健三
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コメント
ふじすえさん、こんばんは。
はじめまして、水無月と言います。
トラックバックと当サイトのご紹介ありがとうございました。
現職の議員さんからのトラックバックで、少し驚きました。
サイトをざっと見させていただきましたが、とてもエネルギッシュで前向きな姿勢に好感を持ちました。
今後とも、よろしくお願い致します。
とり急ぎ、お礼のご挨拶まで。
投稿者 水無月悠里(勇気100%) : 2005年05月10日 23:41
水無月さん コメントをありがとうございます。どんどんBLOGで情報発信をしていきます。これからもご指導ください。
投稿者 ふじすえ : 2005年05月11日 16:51
こんばんは、はじめまして。
こんな議員さんがいるんだなと、涙を流しました。
まだ日本も捨てたもんじゃないと。
自分は、小中学校の教員を18年間続けて、6月に退職しました。腰と首、それに自律神経を病んでの退職です。
それと、自分には夢があります。いつか、経済的な自由が手に入ったら、ボランティアで教育界に、経済教育を義務教育から始める潮流を作っていくことです。
それには、まず大人の意識改革をと思い、サイトを作り資産運用の啓蒙活動を始めています。
どのくらい、かかるかわかりません。でも夢に向かって、頑張ります。
ふじすえさんも頑張ってください。自分の信念に向かって。
私は、日本を信じます。必ずや明治のころの活力あふれる国に戻ることを、復活することを。
投稿者 石原良人 : 2005年07月02日 01:34
>>石原良人様
あまりお褒めいただけるような仕事はまだやり遂げておりませんが、がんばってはおります。是非お力をお貸しください。まだ、表には出していませんが、経済外交と平和政策の支えとしての憲法九条のあり方を比較的深く勉強しています。そのうちネットで情報を発信しますので、お力をお貸しいただければと存じます。
投稿者 ふじすえ健三 : 2005年07月07日 10:41
久しぶりにHP閲覧。
一昨年香川数会場で藤末さんのお話を聞き、あらためて藤末少年の子供時代のこと、大場先生に出会われたこと、お父さんの通う「薬缶大学」て何だろうと思われたこと、お母さんが学校で叱られても家では我が子を励まされたことを思い出し涙が出ました。民主党は結党以来のピンチですがピンチのあとにはチャンス到来です。中国を軍事的現実的な脅威などと馬鹿げたことをいう人では困ります。中国こそ日本を軍事的脅威と考えているほうが現実的です。元寇は800年前の話、以後豊臣秀吉、倭寇、日清、日露、15年戦争と、こちらから出かけて行って盗るばかりだったんですからね。19世紀はヨーロッパの時代、20世紀はアメリカの時代、21世紀は日中韓が手を結び、世界に平和を願う東北アジアの時代にしましょう。
ど田舎香川2区 三宅正瞭(74歳)
投稿者 三宅正瞭 : 2006年03月07日 16:46
>>三宅正瞭さん
すごく懐かしいお話を覚えていただきありがとうございます。
ご指摘のようにピンチはチャンスだと思って活動しています。
党改革など資料を作り、色々と発言していますと、「お前は評論家か!」とののしられることもありますが、めげずにがんばっていきます。
そのうち党の執行部に入り、党の政策・組織運営も変えて行きます。
がんばります!!!
投稿者 藤末 : 2006年03月10日 09:34
藤末議員への連絡方法が分からず、この場で失礼します。
年金問題は藤末さんの専門ではないとは思いますが・・・・
今さかんに社会保険庁のことばかり言われていますが、グリーンピア等は厚生省本局の問題ではないのでしょうか。特に年金局だと思います。全く表に出てきません。
この辺で何か別の解決の切り口は見つかりませんでしょうか。
それと元年金局長が投稿しているこのURLを見てください。
http://markets.nikkei.co.jp/column/rashin/personal.cfm?genre=q7
投稿者 山﨑顕允 : 2007年08月07日 00:23
民主党の地方組織の存在は全く無いのです。あるのは現職国会議員と公認内定者だけの政党組織でない「グループ活動集団」ですよ。はっきりとして「議員党的体質」。
本部の組織活動方針が間違ってるんじゃないですようかね。
どんなに党の組織をまじめに作ってゆこうとしても、選挙に直結しない運動にはびた一文も資金を下ろさない。こんな政党が長続きするはずが無い。選挙集団と政党の役目は二焦点の楕円形ですよ。二つの焦点の距離が大きいほど面積が広くなるのは自明。同心円のお友達グループの小さい集団を作り政党活動と思っているのではダメです。党の名前を隠して事務所も○○事務所だけです。
藤末さん党本部の組織委員会役職について地方党員の声を聞くようにしてください。地方党員といえば県連の幹事長というのでは絶対にダメです。立派な人もいるかも知れんが、超ボロがいますからね。
投稿者 三宅正瞭 : 2008年01月04日 23:23







