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「日本の笑顔を作りたい!」 ふじすえ健三は、東京大学助教授を辞して、国会から日本の笑顔を作ります。
民主党参議院議員 ふじすえ健三 公式ウェブサイト

各国の慰霊墓地など

[2005年08月19日] [日記] [コメント (6)] [トラックバック (0)]

2005年08月16日に「り」さんから
「各国の慰霊、英雄墓地の実態をお調べになってから紹介されるといいのではないかと思います。」
とのコメントを頂いたのでうちの堀井さんに調べてもらいました。
国会の調査室の資料です。

追記に全文を記載しますので興味ある方はご覧ください。

諸外国の戦没者中央追悼施設

国政の論点 平成17年8月8日
調査及び立法考査局

アメリカ
無名戦士の墓(Arlington National Cemetery)
場所:ワシントン郊外アーリントン国立墓地内(墓地の広さは約250万㎡)
追悼対象:南北戦争以来の戦没将兵
設立年:1921年11月11日に第1次大戦の無名戦士が埋葬され、1932年4月9日、現在の墓が完成
設置者:連邦政府
管理者:陸軍省
施設等:高さ11フィート、幅8フィート、長さ13フィートの真白の大理石の石棺型墳墓。戦没将兵の象徴として第1次大戦、第2次大戦、朝鮮戦争の無名戦士各1体を埋葬。
碑文:「ここに永眠する神のみぞ知る亡きアメリカ将兵に祝福と栄光あれ」
追悼式典等:5月の最終月曜日(南北戦争後1868年に最初の戦没者記念祭を行った日)と11月11日(第1次大戦休戦記念日)に追悼式典が開かれ大統領が献花。外国元首公式訪問の際に献花。
*国立墓地
陸軍省管轄(Department of the Army) 2箇所
Arlington National Cemetery,
U.S. Soldiers' & Airmen's Home National Cemetery
退役軍人省管轄(Department of Veterans Affairs National Cemeteries) 119箇所
内務省管轄(Department of Interior) 14箇所
アメリカ戦争記念碑委員会管轄(American Battle Monuments Commission) 24箇所
その他州立墓地多数
退役軍人省の国立墓地管理サイト(http://www.cem.va.gov/)より作成

イギリス
無名戦士の墓
場所:ロンドン市内、国会議事堂前ウエストミンスター寺院内
追悼対象:第1次大戦以降の戦没将兵
設立年:1920年11月11日に第1次大戦の無名戦士1体を埋葬
管理者:イギリス国教会
施設等:埋葬された墓上の大理石の敷石に墓碑銘
碑文:柩上に「1914 年より1918 年の大戦で亡くなったイギリス無名戦没者」と刻まれ、敷石には、埋葬の経緯が刻まれている。(参考資料⑩参照)
追悼式典等:11月11日に最も近い日曜日(第1次大戦休戦記念日)に追悼ミサ。外国元首の公式訪問の際に献花。
戦没者記念碑(Cenotaph)
場所:ロンドン市内ホワイトホール街(官庁街)
追悼対象:第1次大戦以降の戦没将兵
設立年:1920年
設立者:国
管理者:国(公共建設物事業局)
施設等:高さ10メートル、幅4メートルの記念碑
碑文:「名誉の戦没者」
追悼式典等:11月11日に最も近い日曜日(第1次大戦休戦記念日)の11時から政府、国教会、王立退役軍人会共催で追悼式典が行われ、国王が献花

フランス
無名戦士の墓
場所:パリ市中心凱旋門の下
追悼対象:第1次大戦以降の戦没将兵
設立年:1920年11月11日
管理者:退役軍人庁賛助のもとに民間法人「凱旋門下聖火委員会」が管理
施設等:第1次大戦の無名戦士1体が埋葬され、1坪足らずの大理石板
碑文:「祖国のために戦死した1フランス兵士ここに眠る。1914-1918」
追悼式典等:日常的に警備を兼ねた式典が行われているが、11月11日(第1次大戦休戦記念日)には追悼式典が行われ、大統領が献花。5月8日(第2次大戦の戦勝記念日)にも式典が行われ、かつては大統領も参列していたが、現在は参列しないようである。外国元首の公式訪問の際に献花。

ドイツ
戦争と暴力支配の犠牲者のための中央追悼所(Die Neue Wache : Zentrale Gedenkstätte der Bundesrepublik Deutschland für die Opfer von Krieg und Gewaltherrschaft)
場所:旧東ベルリン中心ウンターデンリンデン(1919年にF.シンケルが設計した元プロイセン王宮護衛所跡)
追悼対象:ドイツ人に限らずすべての「戦争と暴力支配」の犠牲者
設立:1993 年(1931年から1945年はプロイセン州立戦没者追悼所、1960年から1990
年は東ドイツ国立のファシズムと軍国主義犠牲者のための追悼所であった)
設置者:ドイツ連邦政府
管理者:ドイツ歴史博物館(連邦出資の有限会社)
施設等:中央にワイマール期の女性彫刻家ケーテ・コルヴィッツの「死んだ息子を抱く母
親像」の拡大複製。入り口右側の銅板に碑文。
碑文:「戦争と暴力支配の犠牲者への碑文」(参考資料⑪参照)
追悼式典等:クリスマスの6週間前の日曜日(国民追悼日、第1 次大戦の戦没者追悼日を
引き継ぐ) に、ドイツ戦没者埋葬地管理援護国民同盟(Volksbund Deutsche Kriegsgräberfürsorge e. V.)主催の追悼式典を連邦議会で開催、参加した連邦大統領が追悼の辞を述べた後、同じくドイツ戦没者埋葬地管理援護国民同盟主催の追悼所での式典で大統領以下が献花。
* ユダヤ人団体は、加害者と犠牲者をいっしょに追悼するNeue Wache に反対しており、例年、追悼記念日には、東ベルリンのヴァィセンゼーにあるドイツ最大のユダヤ人墓地内の第1次大戦のユダヤ人戦没将兵記念碑(第1次大戦にユダヤ人は約10 万人参戦、約1万2千人が戦死)で追悼式を行い、連邦軍総監やドイツ戦没者埋葬地管理援護国民同盟総裁が献花。

イタリア
無名戦士の墓(Altare della Patria)
場所:ローマ市内ヴェネツィア広場のVエマヌエーレ2世記念堂前
追悼対象:第1次大戦以来の戦没将兵
設立:1921 年
管理者:国防大臣直轄の戦没者委員会
施設等:記念堂前のVエマヌエーレ2世像の前の「ローマの像」の足元に「祖国の祭壇」
が1921年造られ、第1次大戦の無名戦士1体を埋葬。
追悼式典等:11月4日(第1次大戦戦勝記念日)に墓前で追悼式典、大統領が献花。外国元首の公式訪問の際に献花。

ロシア
無名戦士の墓
場所:モスクワ市、クレムリンの脇、アレクサンドロフスキー公園の1角
追悼対象:第2次大戦戦没将兵
施設等:4坪くらいの面積の墓碑、中央に永遠の火が燃えている
碑文:「無名戦士の偉業は不滅である」
追悼式典等:5月9日の戦勝記念日に式典開催、指導者が献花。外国元首の公式訪問の際に献花。

中国
人民英雄記念碑
場所:北京市天安門広場中央
追悼対象:アヘン戦争から1949年の革命までの犠牲者
設立年:1958年
施設等:高さ38m 東西50m 南北60m の巨大石碑
碑文:毛沢東の字で「人民英雄永垂不朽」、下段に革命の史実をモチーフとするレリーフ
追悼式典等:特に決まった追悼記念日はないが、外国元首の公式訪問の際に献花

韓国
顕忠塔
場所:ソウル市国立墓地(140万㎡)内
追悼対象:朝鮮戦争の戦没将兵11万人
設立年:国立墓地は1955年に国軍墓地として創設、1965年に国立墓地と改称
管理者:国
施設等: 国立墓地の正面中央に高さ30m の花崗岩の顕忠塔、その下に全戦残者の名前を刻んだ銅板がおさめられている。前に拝殿及び顕忠門
碑文:拝殿正面台座に「ここは民族の霊魂がたちこめた場所である。祖国と共に永遠に歩
むそれらの霊よ、日と月と共に故国を守護されんことを」
追悼式典等:6月6日の顕忠日に大統領も参加した政府主催の追悼式典開催、外国元首の公式訪問の際に献花
*国立墓地
上記墓地以外に、韓国中部・大田市の「第2国立墓地(330万㎡)」、1960年の学生革命の犠牲者を祭るソウルの「4.19国立墓地」がある。
〈参考資料〉
①財団法人日本遺族会「靖国神社法案に関する資料」(その3)昭和48年2月
②名越二荒之助「各国の戦没者をまつる聖地と靖国神社その一、二、三」『靖国』267-269
(昭和52年10月―12月)
③坂本定夫「靖国神社と外国の戦没者施設について」『神道史研究』19巻4号(昭和46年11月)
④古川勝久「靖国とアーリントン、ここが違う」『諸君』平成12年9月
⑤佐藤健生「国民追悼日の歴史的意味―2つの世界大戦と戦没者の追悼―」『季刊 戦争責任研究』68号 1993年冬季号
⑥戦争の死者をどう悼むか 上(朝日新聞 2001.8.6)
⑦国立墓地 各国事情さまざま(毎日新聞 2001.8.14)
⑧戦没者を悼む旅(東京新聞 2001.8.14)
⑨世界の戦没者慰霊(産経新聞 2001.8.15)
⑩ウエストミンスター寺院無名戦士の墓碑文(名越二荒之助訳)
この墓碑の下に、名もなく位もない1 人の英国の兵士の遺体が眠っている。1920年11月11日の休戦記念日にフランスから運んでこられ、この国の最も栄光に輝く先人たちと共に、この場に埋葬された。国王ジョージ5世、国政をあずかる各大臣、軍司令官、そして多数の国民がその時列席した。ここにまつった人は人間が生涯においてなしうる最も尊いことをなしたのであり、第1 次大戦にたおれた多くの勇士を代表するのである。その戦死は神と国王と母国に住む家族と帝国と正義という聖なる目的と、世界の自由を護るためであった。彼は歴代の王と共に葬られた。それは彼が神と家族に対して善をなしたからである。
⑪ドイツ「国立中央追悼所」入り口の碑文(南守夫訳)
ノイエ・ヴァッヘは戦争と暴力支配の犠牲者を追悼し記念する場所である。
我々は追悼する、戦争によって苦しんだ諸民族を。
我々は追悼する、迫害され、命を失ったその市民達を。
我々は追悼する、世界戦争の戦没兵士達を。
戦争と戦争の結果によって 故郷において、また捕虜となって、そして追放の際に命を落とした罪なき人々を。
我々は追悼する、幾百万の殺害されたユダヤ人達を。
我々は追悼する、殺害されたシンティとロマの人々を。
我々は追悼する、血統や同性愛の故に或いは病気や身体の弱さの故に殺されたすべての人々を。
我々は追悼する、生きる権利を否定されて殺害されたすべての人々を。
我々は追悼する、宗教的或いは政治的な信念のために死ななければならなかった人間達を。
我々は追悼する、暴力支配の犠牲となり罪なく死を迎えなければならなかった人々を。
我々は追悼する、暴力支配に対して抵抗しその命を犠牲にした女達や男達を。
我々は讃える、良心を曲げるよりはむしろ死を受け入れたすべての人々を。
我々は追悼する、一九四五年の後に全体主義的独裁に反抗し迫害され、そして殺害された女達や男達を。
(政治議会課憲法室・文教科学技術課)

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コメント

問題は「なぜ靖国だけが責められるのか?」では?

投稿者 夏目 : 2005年08月23日 02:59

問題は「なぜ”A級戦犯”だけが責められるのか?」では?

投稿者 : 2005年08月23日 21:17

わざわざお調べくださいましてありがとうございました。
ただ、靖国に関する議論に比べると、いかにも情報が少ないですね。イギリスで言うなら、アフリカやアジア、オセアニアで侵略を繰り返した将兵、指導者がどう扱われているのか、アメリカで言うならハーグ法規違反の無差別空襲や原爆投下を行った軍部・国家指導者がどう扱われているのか、中国で言うなら…と、述べてこそ、”A級戦犯”云々の話ができると思います。逆に言うならば、世界の常識からすれば、靖国の説明は上のフォーマットで十分ではないかと思います。名前、場所、追悼対象、設立年…、といった客観的な情報を述べるだけでいいではないですか。”A級戦犯”だの戦中の軍国主義だの、感情的で余計な話を入れるから、ややこしいことになるのです。中国で講義をされる際には、ぜひ共通のフォーマットで話をされることを希望します。せっかくの比較も、恣意的な注釈を入れてしまえば台無しですから。

投稿者 あおい : 2005年08月24日 01:38

2カ国間の問題さえややこしいのに、多国間の問題はもっとややこしくなるのでは。結局は、一つでも片付けたくないから、わざわざ多国問題を取り上げ、問題を大きくしているだけ。勿論、世界共通の問題として取り扱うことも必要だが、それは世界範囲での共通認識が出来た時こそ。

投稿者 : 2005年08月26日 06:47

名無し 様。「多国間の問題」も何も、他国では戦没者(国家指導者を含めて)への慰霊など問題になっておりません。いくら引用したところで、問題が複雑になる理由など全くありません。また「世界共通の認識はない」とおっしゃいますが、残念ながら中国韓国は、”戦犯”を慰霊しないことは世界の常識であるかのように宣伝しています。国内でもそう誤解させる報道があります。「世界共通の認識がまだない」、そのこと自体を理解させるためにも、「では世界ではどのように慰霊をしているのか?」という客観的な事実認識が必要なのです。
常識というのは周りを見渡してやっと得られるものです。周りの情報を取得、比較吟味することを避けるのは、あるいはそれを妨害するのは、常識的な解決への道を閉ざす行為に他なりませんよ。

投稿者 あおい : 2005年08月28日 06:37

あおいさんのコメントへ: 
各国の慰霊墓地状況に対して、各国の戦争遺跡も一覧にして、議論を展開するのもあるでしょうか。

投稿者 : 2005年08月28日 16:08

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