「不道徳教育」 ブロック.W (著) 橘 玲 (翻訳)
[2006年04月17日] [日記 | 読書録] [コメント (5)] [トラックバック (1)]
知り合いの橘 玲さんが「経済学者」の洋書を翻訳したものです。
リバタリアン(自由原理主義者)の観点から
麻薬中毒、売春婦、悪徳警察官など社会悪も経済効率性から見ればヒーローだと。
読んでいて面白いですが、頭の固い私には、 「経済学的な効率性の議論だけでいいのか?」と思ってしまいます。
よく「自由」という言葉が経済学でも出ていますが、「自由の定義は難しい」ですね。精神の自由、活動の自由など色々とありそうです。この定義からはじめないと論理だけの話がどんどん進んでいくような気がします。
なお、「リバタリアン」と「リベラリスト」の差を「自由」の優先順位によって簡明に整理されているところは納得しました。私は社会福祉リベラリストではないつもりですが、これを読んでやはりリベラルの分類に入ると感じました。
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トラックバック時刻: 2006年04月17日 17:13
コメント
ちょうどリバタリアンについて調べていたところでした。
経済学について最近勉強しているのですが、リバタリアン的には経済は動いていないケースの方が多いようですね。
ちなみに、小沢代表の「WE MUST CHANGE TO REMAIN THE SAME(変わらずに残るためには、変わらなければならない)」という言葉はエドモンド・バークの言葉ではないかと想いました。
リバタリアンとは対立的な立場だということでしょうか?
投稿者 ひでき : 2006年04月17日 20:00
自由は英語ではフリーダムとリバティーの違いが
ありますね。というかもともと別の概念を一緒くた
にした先人のミスですけどね。
それがわかると明快だと思いますが。
投稿者 さんせっと : 2006年04月19日 01:31
>>ひできさん
これは貴重な情報です。
サイトにある図は、外交政策と福祉政策の観点が少し混ざっているような気もしますが、ネオコンサバがリベラル側に書かれているのが印象的です。この図で見ると私は人権派ではないので、位置づけが難しいですね。
小沢代表は、リアリストではないかとかってに考えています。図でいうと真ん中になるのではないでしょうか。
>>さんせっとさん
コメントありがとうございます。
ご指摘のように、英語ではフリーダム(freedom)とリバティ(liberty)の2つがあります。日本語では、二つを「自由」と訳してしまい。私も自由のはき違いがここから始まってると思います。
フリーダムの方は「~からの自由(わがまま自由)」、リバティは「~への自由(自由への前進)」という感じがあると思います。
わが国では、フリーダム「~からの自由」が自由となっているのではないでしょうか?
リバティには多大な努力が必要だということをもっと感じなければと思います。これがなければ国の進む方向がおかしくなるのではないかと感じます。
投稿者 藤末 : 2006年04月20日 13:03
拙著よりの引用です。
「リバティとフリーダムは共に自由と訳される。リバティとフリーダムは、おおよそ同じ意味であるが、それらの語源は全く違ったものである。リバティは古代地中海域の伝統から派生した言葉である。一方、フリーダムは古代北欧言語に由来している。リバティとフリーダムの差異を一言で表せば、リバティは、個人や集団の独立、分離、自立を意味し、フリーダムは自由民の共同体への所属を意味している」
ご参考までに。
投稿者 仙 : 2006年04月25日 00:52
>>仙さん
ありがとうございます。
「自由」という一つの言葉でも、由来の違いによって深いところでの意味が違うというのは興味深いですね。勉強になりました。
投稿者 藤末 : 2006年05月01日 00:03







