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「哲学入門 死ぬのは僕らだ! 私はいかに死に向き合うべきか」 門脇 健 (著)  はてなブックマーク - 「哲学入門 死ぬのは僕らだ! 私はいかに死に向き合うべきか」 門脇 健 (著)

2016年12月31日

12月に入り、国会が閉じてから、時間の余裕ができましたので、本を読むペースが上がっています。今月は10冊以上は読んでいます。

その中でも「哲学入門 死ぬのは僕らだ! 私はいかに死に向き合うべきか」は、なかなか面白く読ませてもらいました。内容は、西洋哲学のみですが、なんとなく仏教哲学のテイストが入っているように感じました。

著者は、住職兼教授の門脇健先生。

ソクラテスの死生観「死を知ることはできない、だから怖くない」
キリスト教神学者アウグスティヌスの「私の幼年時代はとっくの昔に死んでしまった」
ニーチェの「これが生だったのか!よし、もう一度(永劫回帰)」
カミュ「歴史から跡形もなく消え去る運命」

そしてパスカル、これは圧巻です!
「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。」(パンセ347)「考えることが人間の証、生きること」と藤末は理解しました。

ヘーゲルは、「死という否定に留まることは、否定を存在に変換する魔法の力である」という言葉が引用されています。「死をアウフヘーベンし、存在につなげる」、「必ず至る死を前提に生きる」ということではないでしょうか(きっともっと深いと思いますが、藤末のレベルだとこの解釈です。)

プラトンについては、「パイドン」から「死に臨んで嘆く者を見たら、それはその男が知を愛する者ではなくて肉体や金銭や名誉を愛する者であることの証拠ではないか。」との引用です。私は知を愛している方だとは思いますが、間違いなく「死に臨んで嘆きまくります」。逆に「死ぬ直前まで、死を恐れ、死ぬことを嘆きまくる」ようになります。
哲学は好きですが、きっと哲学者にはなれませんね。


 

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