月別アーカイブ

2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2004年
  • 藤末健三後援会
  • 藤末健三後援会
  • ふじすえ健三メルマガ
  • 参議院比例代表の投票
  • ふじすえ健三チャンネル
  • facebook公式アカウント

ブログ

亡くなった友人のお母さまとの話 幸せとは。

小学生の頃に一緒に遊んでいた友人が海外で交通事故で亡くなった。

当初は、海外で葬儀を行ったため、日本では葬儀を行わないと聴いていたが、彼が勤めていたい会社がお別れの会を開催してくれることになったので、参列させてもらった。


彼とは父親が同じ職場だったこともあり、小学生低学年の幼い頃に、社宅(官舎)で一緒に過ごしており、家族同士の付き合いだった。よく自宅に呼ばれて食事もいただいていた。

ただ、就職してからは、一度だけ、彼が私の選挙の時に取材に来てくれ、その時に会話したのが最後となった。会話は、とりとめもないお互いの家族の状況確認だった。


セレモニー室に入ると、笑顔の彼の写真が白い花に囲まれていた。

その写真を見た瞬間に涙があふれだした。


まさか涙が出るとは思わなかった。

前に涙を流した日がいつだったか、思い出さないくらい泣いたことはない。

でも、涙が止まらなかった。涙が頬から滴り落ちるくらい涙が流れた。


祭壇の横には、友人のお母さまがいた。

涙が止まらないままに、歩み寄り、

私は子供のころのように「おばさん」と呼びかけると、


おばさんは「けんちゃん、よく遠い所から来てくれたね。ありがとう。」と手を握ってくれた。


悲しみを隠そうとするようなその手から逆に悲しみが伝わってきて、涙がまたこぼれた。

おばさんも私の悲しみが伝わったのか、大粒の涙がほほを伝わっていた。


私は、兄も来たがっていたが、仕事で都合がつかなかったこと、母はなんと声をかけていいかわからず電話もできないでいること、をおばさんに伝えた。

おばさんは「けんちゃんが来てくれたから、息子も喜んでいるわ。」と言ってくれた。

私に微笑みかけるおばさんを見て、伴侶も失い、寄りかかる人もいない、その中で一人で悲しみに堪えてきたのだろう思い、ますますつらくなった。

私は、ただ、ただ、手を握り返すことしかできなかった。


セレモニーでは会社の同僚、大学時代の友人、親族代表から話があった。

どのエピソードも彼だったそうだろうなということばかりだった。

小学校以来深い付き合いはなかったが、その子供のころの雰囲気、明るく・元気、がそのまま大学でも職場でも続いていたんだなと感じた。


セレモニーが終わり、お別れの会食が開催された。

友人の兄から是非参加してほしいと言われていたので、参加させてもらった。

友人は私の5歳年下であるが、友人の兄は私と同じ歳だ。

友人とその兄も私と同じ高校の卒業生であるため、何人か私の知人も会食に参加していた。


知人たちと食事をしていると、おばさんが挨拶に来てくれた。

私は、「彼は、大学や職場でも幼いころに一緒に遊んでいた感じとかわらないね。元気で、明るく、なんでも一生懸命だったんだね」と話すと、おばさんは、「子どもは変わらないわ。けんちゃんも昔と全然かわってないよ。」と言ってくれた。

それから、色々な話をした。彼がやっていた剣道の話、5人の孫のこと、幼いころの私の行動など。


おばさんとの会話の中で一番印象的だったのは、「海外赴任前に、半年間、友人がおばさんの家から通勤していた」という話だった。

彼は、転勤の都合で、自宅から通えなくなり、実家から半年間通勤していたというのだ。その間、おばさんが食事を作り、洗濯をし、アイロンをかけていた、ということだった。


おばさんは、「シャツにアイロンを毎日かけていた。それが幸せでたまらなかった」と満面の笑顔でアイロンをかけるジェスチャーまでして話してくれた。


その時には、おばさんの伴侶は亡くなっており、大きな家に一人で住まわれていたはず。

その中で息子が自宅に帰ってきた。

「息子の面倒を見られたことが、たまらなく幸せだった」のだ。


おばさんのその表情と話は、本当に魂を奪われるくらいに、衝撃だった。


私は、与えられた一回だけの人生をとことん幸せに生きたい、どうすれば満足して幸せに死ねるのか?と常に考えている。

しかしながら、これが幸せだ、と言い切るところまでとても行き着いていない。

悩みはしないが、常に探し求めている状況だ。


その中で、おばさんの話は衝撃的だった。


「アイロンをかけることがたまらなく幸せ」


昔を懐かしむよな笑顔で語るおばさんに、本当の幸せがここにある、と感じた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

友人に謝りたいこと


セレモニーでは、友人の生前の映像が流れ、彼の書いた文書をつづった追悼録が配布された。彼は新聞記者であり、その記事や随筆が小さな冊子に取りまとめられていた。


私はその追悼録をむさぼるように読んだ。

その中で、「子供たちと泥団子を作った」ことが書かれていた。子供たちと一緒に表面がつるつるの泥団子を作ったという話だ。


この話を読んで、その一瞬に、もう50年近く前の記憶が鮮明によみがえった。


彼と私は5歳ほど歳が離れており、彼の兄が私と同じ歳なので一緒に遊んでいた。遊んでいたというよりも、私たちが遊ぶのに、味噌っかす、のように彼がついて回っていた感じだった。


その中で思い出すのは、社宅(官舎)の中にあった砂場で一生懸命に彼が泥団子を作っていたことだ。


当時、3,4歳だった彼は、泥団子(当時、トウマルと呼んでいた)をいくつも作り、それを砂場の淵の木の上に並べていた。


丁度、砂場の横には、倉庫というか物置場があった。

その裏から、私たち(確か私の兄と一緒)は、一生懸命、集中して泥団子を作る彼の隙を見て、倉庫裏から走って行って、彼が作った泥団子をつぶし、そしてまた倉庫裏に逃げたのだ。


これに気付かない彼の集中力もすごいものである。

しかし、団子を作り、作った団子を砂場の淵に載せるときに、彼は泥団子が壊されていることに気付いた。

そして、周りにいる子どもたちに、「誰が俺の泥団子をこわしたんだ!」と怒り、叫びながら、聞いて回ったのだ。(今思うと、彼のものおじしないで、年上の子供にも問い詰めていたところもすごかった。)

そのシーンを私は兄(?曖昧な記憶)ととともに、笑いながら倉庫の陰から見ていたのだ。


追悼録を読み、三つ子の魂百まで、というが、泥団子作りがすきだったんだなと笑みが出てきた。

同時に、「本当に申し訳ないことをした」と謝らせてもらった。


記憶というのは、残るものだと感じた。

日ごろは全く思い出さないことでも、脳みその中にきちんと生きているのだ。


人は、生命を失い、娑婆世界に存在しなくなっても、人の記憶の中に生き続けるのだろうと思った。

それも小さな幸せとともに。


友人のご冥福を心から祈念します。

休息というもの(お盆休みを終えて思う)

『宮本武蔵』(1939年)、『三国志』(1940年)、『新書太閤記』(1941年)などで著名な吉川英治の作品の抜粋を読みました。

中に、『新書太閤記(11巻)』からの抜粋で
「もし人の一生に、その多岐たきなる迷いと、多難なる戦いとがなく、坦々たんたんたる平地を歩くようなものであったら、何と退屈な、またすぐ生き飽いてしまうようなものだろう。

畢竟するに、人生とは、苦難苦闘の連続であり、人生の快味といえば、ただその一波一波に打ち剋ったわずかな間の休息のみにあるといってよい。」
という文書があり、心を打たれました。


両親を含め宇宙から与えられた一度だけの人生、やはり苦難があり、それを乗り越え、己の周りを、社会を、国を、世界を、宇宙をよくしていかなければ、己の魂が喜ばないであろうし、
また、苦難苦闘があるからこそ、休息が有り難いものになると痛感しました。

お盆に休みをもらい、休みの有り難さを体感したからこそ、吉川英治の文書が心に浸みました。


たっぷり、休ませてらいましたので、ますます頑張っていきます!

I got CATS points of Philosophy of Mind at Oxford Univ. Online Program.

I finished the Philosophy of Mind (Online) at the Oxford Univ. Continuing Education Dept.!

I upload my essays as belows.

Assignment 1 : How does philosophy differ from science?

Fujisue_Kenzo_assignment1Howdoesphilosophydifferfromscience.pdf

 

Assignment 2: Can a Functionalist Account for Qualia?

Fujisue_Kenzo_Assignment 2 Can a functionalist account for qualia.pdf

 

I completed 10 courses (100 CATS Points) now!


 

「哲学入門 死ぬのは僕らだ! 私はいかに死に向き合うべきか」 門脇 健 (著)

12月に入り、国会が閉じてから、時間の余裕ができましたので、本を読むペースが上がっています。今月は10冊以上は読んでいます。

その中でも「哲学入門 死ぬのは僕らだ! 私はいかに死に向き合うべきか」は、なかなか面白く読ませてもらいました。内容は、西洋哲学のみですが、なんとなく仏教哲学のテイストが入っているように感じました。

著者は、住職兼教授の門脇健先生。

ソクラテスの死生観「死を知ることはできない、だから怖くない」
キリスト教神学者アウグスティヌスの「私の幼年時代はとっくの昔に死んでしまった」
ニーチェの「これが生だったのか!よし、もう一度(永劫回帰)」
カミュ「歴史から跡形もなく消え去る運命」

そしてパスカル、これは圧巻です!
「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。」(パンセ347)「考えることが人間の証、生きること」と藤末は理解しました。

ヘーゲルは、「死という否定に留まることは、否定を存在に変換する魔法の力である」という言葉が引用されています。「死をアウフヘーベンし、存在につなげる」、「必ず至る死を前提に生きる」ということではないでしょうか(きっともっと深いと思いますが、藤末のレベルだとこの解釈です。)

プラトンについては、「パイドン」から「死に臨んで嘆く者を見たら、それはその男が知を愛する者ではなくて肉体や金銭や名誉を愛する者であることの証拠ではないか。」との引用です。私は知を愛している方だとは思いますが、間違いなく「死に臨んで嘆きまくります」。逆に「死ぬ直前まで、死を恐れ、死ぬことを嘆きまくる」ようになります。
哲学は好きですが、きっと哲学者にはなれませんね。


 

「やりたいことの見つけ方~迷いのブレーキを外す20のヒント~」 松永真樹 (著)

私の遠い親戚であり、NPO超「∞」大学校長である松永真樹さんの著書です。
親戚だからひいき目になりますが、なかなか面白い本です。
めちゃ読みやすいです。

yaritaikotonomitukekata.png


やりたいことがみつからない。 > やりたいことがなくてもいい。やりたいことをやっている人を応援する。

 

モチベーションが下がったら。(前向きになれない) > 5つのステップ。第5ステップの「冬眠」がいいですね。

夢をかなえる4つのステップ > 
1.ワクワクする(藤末は「色がつくまでイメージすべし」と考えます。) 
2.言う(夢を応援してくれる人が見つかります。by藤末) 
3.決意する(何があっても貫き通すことにより人が応援してくれます。by藤末)
4.行動する(1-3までができればやるだけです。一番簡単なところです。by藤末)

細かいところは是非ともアマゾンなどで買って読んでください!

松永さんの講演の様子はココ
マサキさんの結婚ビデオは秀逸です!ちなみに奥さんがうちの本家です。

「一瞬懸命」に生きる!

「一瞬懸命」
これは、私の大好きなボクサー坂本博之選手(現在、SRSボクシングジム会長)の言葉です。坂本選手には現役時代にファンレター
刹那刹那、一瞬を懸命に生きる』ということです。

私も「人生は、この一瞬しかない」と思います。

一般的に
過去は変えることができません。
一方、未来は変えることができる。

と考える方が多いでしょうが、

藤末も
「変えることができるのは『今という一瞬』しかない。」と考えます。

今一瞬を精一杯に頑張ることにより、未来を変え
また、
過去も、今一瞬を精一杯に生きることにより変えていいくことができます。(例えば、
過去の失敗であっても「今一瞬を生きること」により、プラスにしていくことができます。)

一瞬懸命に生きて、

積小為大で積み重ねてこそ、

様々なことをなすことができると信じています。

 

"Reality, Being and Existence: An Introduction to Metaphysics" at the Oxford University Continuing Educatuion

オックスフォード大学のオンライン講義で、趣味で学んでいる哲学ですが、今回、形而上学("Reality, Being and Existence: An Introduction to Metaphysics")の講義が終わりました。
評価はVery Goodでした。

自分としては、自分自身の新しい考え方を整理できたと自負しています。

折角なので書いたレポートを掲載させてもらいます。


I am learning philosophy at the Oxford University's online lectures, as my best hobby.
This time, I finished a course of "Reality, Being and Existence: An Introduction to Metaphysics". The evaluation was Very Good.

I am proud that I was able to organize my own new idea about existence.

I will put my essays on this site as below.


"Are there any non-existent things? Nation can exist?"

Reality_Fujisue_Kenzo_assignment 2 (1).pdf

 

"Distinction between Universals and Particulars"

Reality_Fujisue_Kenzo_assignment1 20161028.pdf



 

マハトマ・ガンジーの御令孫 エラ・ガンジー女史とお会いしました。

国連大学(東京・渋谷)で開催された「核兵器廃絶に向けた国際特別セッション~ICJ の勧告的意見から20 年~」に参加させて頂き、

私の尊敬する(尊敬を超え崇めている)マハトマ・ガンジー(Mahatma Gandhi )のご令孫「エラ・ガンジー女史」と話をさせて頂くことができました。

IMG_0111.jpg

そこで、早速マハトマ・ガンジーのお言葉で一番好きな、

「A man is but the product of his thoughts. What he thinks, he becomes.」
人間はその人の思考の産物にすぎない。 人は思っている通りになる。

を話させてもらいました。

この言葉に出会い、「とことん考えたように自分自身がなることができる」と信じるようになったと、エラ・ガンジー女史にお伝えすると、喜んで頂きました。

貴重な出会いに本当に感謝します。

オクスフォード大のオンライン講義で「Ethics: An Introduction」の単位を取りました。

オクスフォード大のオンライン講義で「Ethics: An Introduction」の単位(10クレジット)を取りました。これで5つ目の単位です。これで50単位となります。大学2年生までの180単位はオンラインでも修得可能です。将来、オクスフォードで学ぶことを夢見て、こつこつと積み重ねていきます。

エッセイ1:Can Moral Rules save the World?PhilEthics_kenzo fujisue_assignment1.pdf

エッセイ2:How the different theories come together to establish the world moral? PhilEthics_kenzo fujisue_assignment2.pdf


ちなみに評価は、エッセイには相当な私見を書きましたが一応Very Good (B)を頂きました。

自分自身の学習の記録としてここに残させて頂きます。

映画「100歳の少年と12通の手紙」

なんとなく知らないうちに会員になってしまったアマゾン・プライム。


会費分を取り戻そうとプライムサービスの「無料の映画」を見ています。
この無料映画の中にこのフランス映画「100歳の少年と12通の手紙」がありました。

それこそ、なんとなく見たらすごく深く考えさせられました。

ストーリーを書くと面白くないので、印象だけを書くと
「一日を10年として生きる少年は究極的に可能」だと思いました。

・日々を如何に「本当の意味の必死」に生きること。
・そして、生きたことを神様に手紙を書き、伝えること。

「生きること、そして伝えること。」

すごいメッセージを持った映画です。

100yearoldboy.jpg
1   2   3   4   5   6  

トップへ戻る