プロフィール

藤末健三へインタビュー

藤末氏は熊本の出身。幼いころはやんちゃで落ち着きがなく、勉強もできなかったという。小学校五年生のときに出会った先生のおかげで成績が伸び始め、ついには東大を目指すまでになるが、安全策をとって東工大を受験する。しかし受験後に、東大に「チャレンジしなかったことの後悔」を味わい、この時の経験がその後の人生に大きく影響することになる。

―― ご出身は熊本なのですね。生い立ちからお聞かせください。

藤末:1964年、東京オリンピックが行われた年に、熊本市で生まれました。台湾から引き上げて郵便局に勤務していた父、農家出身の母、兄と私の四人家族です。小さい頃はやんちゃで、いわゆる「落ち着きのない子」でしたね。とにかくもう、少しもじっとしていなくて、一カ所に座っていられない子でした。あ、落ち着きがないのは今でもあまり変わってないかもしれませんが...(苦笑)。当時は「長屋」住まいで子供がたくさんいましたし、舗装も不十分な頃ですから、遊び仲間と場所には不自由せず、毎日思う存分駆け回っていました。勉強の方は...、まあ、できませんでしたね。なにしろ小学校に入るまで、自分の名前が書けませんでしたから...。兄は真面目で勉強もできたので、ある先生が「お兄さんはあんなに立派なのに...」と、ため息をついたこともありました。よほど違っていたのでしょうね(笑)。

 小学校時代は父の転勤で長崎、福岡、熊本と転校をくり返したのですが、うまく馴染めずにいじめにあったりして、学校が嫌になった時期もあります。しかし五年生で担任された大場先生のおかげで学校が楽しくなり、はじめて五段階評価の「4」をとったのです。体育ですけど...。でもそれから「やればできるんだ!」と思えるようになり、これ以後私の成績はずーっと上がっていくのです。ですから、子供にとって先生は本当に大切だと思います。なにしろ子供の人生に大きな影響を与えますからね。とはいえ、その後もやんちゃは相変わらずで、中学時代にはロケット花火や連発花火で戦争ごっこをするのが楽しくて...。花火を手に持って撃ち合いをするのですが、弾が近づくと「ひょいっ」とよけるのです。とても楽しかった思い出がありますが、今だったらとんでもない遊びですね(笑)。

 クラブ活動は中学ではハンドボール、高校からはボートをやりましたが、それほどの成績は残していません。学業は数学が得意で高校から理数系に進みましたが、短期集中型の私は受験直前にかなり追い込みをかけまして、ついには東大に手が届くところまで成績を伸ばしました。ただ東京に出たかったので、費用の都合でどうしても国立大学に入らなくてはならず、浪人もできない。また入試直前に伸びた自分の実力に自信が持てなかったこともあって、東大を避けて東工大を受験しました。でも受験後に「やっぱり東大にチャレンジすればよかったな...」という後悔が湧いてきました。そこで、「自分でお金を稼いで一浪しよう!」と建設現場で働き始めたのですが、一日中大変な思いで汗を流しても四、五千円程度なのです。これでは浪人はとても無理で、断念して東工大に進むことにしました。今思うと、お金を稼ぐことの大変さを知ったのはいい経験でしたね。この時に私がブロックを組んだ歩道橋は、今でも残っていますよ。それと、この大学受験における「チャレンジしなかったことの後悔」は、私のその後の人生に大きく影響を与えています。

―― なるほど。「チャレンジしなかったことの後悔」というのは、藤末さんを理解するキーワードのひとつかもしれませんね。学生時代はどのように過ごされましたか?

藤末:とはいえ、東工大に入ったのは本当によかったと思っていますよ。学生時代は専攻(情報工学)の勉強よりも、ボート部の活動に精を出しました。東工大のボート部はそれまでパッとせず、他の大学から馬鹿にされるような存在でしたが、それが悔しくて「絶対メダルを獲ろう!」とみんなで宣言したのです。コーチからは「やろうと思えば必ずやれる。実現する!」と言われ続けていました。分析の得意な仲間が選手の体格・体力・技術を詳しく調べ上げ、優勝するための練習方法や戦術を細かく分析し、とにかく実行しました。こうして全日本新人戦で二位、軽量級で三位となり、四年生のときには全日本で二位となることができたのです。この時の体験で、正しい「目標の立て方」と「努力の仕方」を身に付けたように思います。

 もうひとつ、自分のポリシーになったのは、「すでに起こったことを、後悔して過ごす」よりも、「すでに起こったことを、よかったといえるように努力する」ことですね。私の場合だと、「東工大に入ったことを、後悔して過ごす」よりも、「東工大に入ってよかったといえるように、充実して過ごす」ことです。また、私はその後通産省で東大卒の人たちに囲まれて過ごしますが、東工大に進んだからこそ「東大卒に負けたくない」というエネルギーが生まれてよかったと思うのです。東大に進んでいたらそれに満足して、留学しようとは思わなかったかもしれません。

 就職活動ですが、ボート部に入れ込んでいたこともあって、積極的に行いませんでした。一般企業を回ると同時に、公務員試験も受けたのですが、「青田買い」というものを知らずにのんびりしていて、「通産省が内定を出している」と聞いてあわてて面接に行ったくらいです。私が面接に出かけたときはもう選考はほとんど終わっていた上に、何の準備もせずスーツも借り物で臨んだので、「藤末を採用すべきか」で議論は難航したそうです。最終的には「体育会出身の割には成績もいいし、まあいいか...」という感じだったようです。私自身も通産省に是非入りたいという気持ちではなかったのですが、面接でなんとなくウマが合いまして、それで決めたという感じです。ですから今の学生が真面目に就職活動をしているのを見ると、自分の時とずいぶん違うなあ...、大変だなあ...と思いますね。

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