インタビュー3

藤末健三へインタビュー
聞き手:クロスロード株式会社  代表取締役社長 辻口 寛一(インタビュー日:2009年12月10日)

45歳までに教授になろうと研究に励んでいたところに、民主党の岡田幹事長から参議院選挙への立候補を打診される。生まれて初めて胃が痛くなるほど悩んだが、「ここでチャレンジしないと後悔しそうな気がして」政治家への転身を果たす。全国を回るドブ板選挙は、視野が広がりいい経験になったという。政治家となった当初はカラ回りもしたが、今では動き方のコツをつかみ、参議院でNO.1の活動実績を残すまでになる。

―― その後、東大の助教授であった藤末さんが政治家に転身されるのですね。その経緯を教えてください。

藤末:助教授になってからは、45歳までに教授になろうと研究論文を書きまくっていました。「世界で評価されるような仕事をしよう!」と考えていましたね。また、論文を書く傍ら民主党に政策を講義していました。党の部会や勉強会で、経済政策や産業政策を話していたのです。すると2003年11月に当時の岡田幹事長から呼び出され、翌年の参議院選挙への立候補を打診されたのです。しかも二週間で答えが欲しいという。取りあえず、その場は「家族と相談します」とお答えして帰りました。

 家族に話をすると、妻は「なに言ってるのよ」という感じで「反対といえば反対」でしたが、両親は「大反対」でした。それも当然で、研究活動の評価が高まって「東大の教授」が目前となり、講演や執筆などで収入も安定してきたところだったのです。しかも、両親が現在住んでいる鹿児島には、「政治家」はいても「東大の教授」などいませんからね(笑)。「東大の教授になろうと今まであれほど頑張ってきたのに、なんで今さら政治家になるのか?」と呆れられました。でもまあ、もっともな話ですよね。損得や合理性で考えれば、政治家になるというのは「検討するまでもない話」だと思います。

 この時は本当に悩みました。それまで悩んで胃が痛くなることなどなかったのに、胃が痛くて眠れなくなりました。でも、なんだかここでチャレンジしないと後悔するような「気」がしたのです。「チャレンジしなかったことの後悔」をしたくない...と、どこかで思っていたのかもしれませんね。こればかりは理屈ではありません。ご相談した先輩のお一人から「君は『着ぶくれ』しているよ。通産省、MIT、ハーバード、東大助教授というタイトルを脱ぎ捨てて、一度裸になってごらん。スッキリするから」といわれたのも大きかったですね。政治家を目指そうと決めてからは確かに気持ちがスッキリして、東大に辞表を出した時の空の青さや構内の景色は、今でもはっきりと憶えています。

 実際の私はとても慎重な人間で、決して「エイヤッ!」と目をつぶるようにして意思決定したわけではありません。当選する可能性についてきちんと計算しましたし、落選した際の身の振り方も考えて、家族に理解を求めました。とはいえ国立大学の教官は失業保険が出ないので、退職後は収入がなくなり、公務員住宅からアパートに越すなど、家族の生活にも大きな変化が伴います。さらに選挙期間中は二カ月間家を空けて全国を回りましたから、家族、とくに妻には本当に迷惑をかけましたね。私も人間ができていなくて「申し訳ないね」のひとことが言えずにいました。子供たちとまる二カ月間会えないのも、父親として申し訳ない思いでいっぱいでした。

―― やはり選挙は大変だったのですね。

藤末:はい。でも選挙で全国を回ったのは、本当によい勉強になりました。有難いことに立正佼成会という宗教団体から御推薦をいただきましたが、私の顔は全く売れていませんので、選挙ではとにかく人と会う必要があります。やはり有権者の皆さんは「会ったことのある人」に票を入れるものですからね。こうしていわゆる「ドブ板選挙」で全国を回ってみると、今まで自分がいかに世間知らずだったかを痛感しました。老老介護の現場やネットカフェで過ごす人たちなど、「大学の先生」では出会わない方々とも、たくさんお目にかかりました。選挙とはよくできたシステムで、こうした現場を知らない理屈だけの人は当選しないようになっているのです。

 また、通産省を辞めたときには訪問客が激減して自分の小ささを思い知らされましたが、今回は「個人としての藤末」を応援してくれる人の多さに感激しました。活動資金を集めるためにパーティを開いたのですが、その時に来て下さった方々のお顔はよく憶えています。それこそ私は所属も肩書もない「素っ裸」になったわけですから、そこに来て下さった方々は、ほんとうに「個人としての藤末とつながってくれている」方々なのですね。結果は18万3千票をいただき、当選することができました。選挙が終わったあと自宅に戻り、家族の顔を見てからようやく安心したのでしょうね。ドッと疲れが出て泥のように眠りました。

 こうして政治家にさせていただきましたが、今から思うとはじめのうちは動き方がよく分からずに、カラ回りばかりしていました。正しいことを言えば通ると思っていましたし、諸先輩からすれば自己主張の強い生意気な奴に見えたことでしょう。思うように活動できないもどかしさから、政治家になったことを後悔した瞬間もあります。このときも親しい経営者の方からアドバイスを受け、まず自分の主張は置いといて与えられた仕事を一生懸命に全うしよう、と考えを切り替えました。そうすると、事務局の仕事などを依頼されることが多くなり、それを一生懸命にやっているとこちらの主張も通りやすくなるなど、動き方がわかってきました。要は歯車がかみ合わないうちに、いくらリキんでも駄目なんですね。私の国会での活動実績を見ていただくと、年を追うごとに数字が急増していくのがおわかりいただけると思います。今はもう動き方はよく分かっていますので、なんとか引き続き活躍の場をいただきたいと願っています。